大判例

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東京高等裁判所 昭和62年(う)384号 判決

主文

原判決中被告人に関する部分を破棄する。

被告人を懲役三年に処する。

原審における未決勾留日数中七〇〇日を右刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人伊藤和夫が差し出した控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官が差し出した答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第一点及び第二点について

所論は、要するに、原判決は、原判示第一の事実において、被告人は、昭和五九年五月三一日午前一時三〇分ころ千葉県東葛飾郡沼南町所在の新日本興建株式会社駐車場において、甲(原審共同被告人。以下「甲」という。)及び乙(原審共同被告人。以下「乙」という。)とともに、被害者A(以下「A」ともいう。)を殴打したり足蹴にするなどの暴行を加えて、同人に重篤な傷害を負わせ、そのため適切な医療措置を施さずに同人を他所に運んだり、放置したりすれば、同人が死亡するに至ることを十分認識しながら、これを認容し、甲及び乙と共謀のうえ、Aを普通乗用自動車の後部トランクに押し込んで出発し、約6.9キロメートル離れた同町内の手賀沼付近、同所から約34.4キロメートル離れた同県佐倉市内の第二ユーカリが丘分譲地付近を経て、同日午前四時二〇分ころ、更に約12.6キロメートル離れた同県八千代市内の大成建設株式会社専用グランドに至るまで右自動車を走行させ、同グランドに向かう途中、Aを左頭部打撲による脳障害(頭蓋冠及び頭蓋底骨折、脳挫傷、硬膜下及びクモ膜下出血)により死亡させて殺害した旨認定しているところ、(一)死因となつたAの頭部傷害は、既に新日本興建の駐車場における甲及び乙の暴行によつて生じていたものであり、Aを車のトランクに入れて運んだ行為は、これによつて同人の死亡時期が多少早まつた可能性があつたとしても、同人を死亡させる原因となつたものではないことが明白であるから、被告人が関与した右Aの運搬行為は同人の死亡の結果と因果関係を持たないものであり、また、被告人は、Aを自動車のトランクに入れた際、同人が命にかかわるような傷害を負つていたとは認識しておらず、甲及び乙との間でAが死亡することを認容する共謀をしたことはなく、これら各点において原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があり、(二)右のとおり、原判決挙示の証拠によつても、被告人について殺人罪に当たる事実を認めることができないから、原判決には理由のくいちがいがある、というのである。

そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果を合わせて検討すると、関係証拠によれば、本件犯行の経過は被告人に関する殺意の点を除けば原判示のとおりであると認められるが、右殺意の点の認定は肯認し難い。すなわち、本件犯行をめぐる状況をみると、

1 被告人は、昭和五九年三月末ころから、手形割引を依頼するため極東組系やくざのBのもとに出入りするようになり、同人の配下のAを知つたが、Aとのトラブルといえば、Bが割引金を一部しか支払わなかつたため、同年五月二〇日ころ同人方におもむいて同人にその請求をした際、居合わせたAが「ないものは払えない。堅気がやくざに逆らうとどうなるか分かつているだろう。」と言つて、殴りかかるような体勢をみせ、Bに制止されて終わつたこと位であるのに対し、甲は、同年三月初旬ころからBのもとに出入りし、同人の仕事を手伝うようになり、Aを知つたが、Bから手形割引金を着服したと疑われて、同月一九日ころ、同人の命を受けたA外一名に自動車でら致されそうになつたため、スコップを持つて立ち向かい、そのスコップが自動車の車体に当つて跳ね返り、顔面を切る傷害を負い、更に、その直後B方に押し掛け、同人と取つ組み合いのけんかをすることなどがあつて、B及びAに対し強い反感の念を抱いていたものであり、また、乙は、甲の義弟であつて、甲に誘われてBの手伝いをするなどしていたが、右のように甲が負傷したりBとけんかをしたりした際にも、甲と行動を共にしていたものであつて、B及びAに対する反感は甲と同様であり、Aを不快に思う程度は、被告人と甲、乙との間では相当の差があつたこと、

2 本件の発端は、同年五月三〇日夜千葉県松戸市内のスナック「ノンノン」で、被告人、甲、乙のほか、丙、丁、戊及び己(いずれも分離前の原審共同被告人)が飲酒などしていた際、Aを同居させている丙が酔余、「Aは、堅気がやくざにたてつくなど生意気な奴らだと言つて、拳銃で甲や乙を狙つている。」と言い出し、これを聞いて憤激した甲が「向こうからやられるより、こちらから乗り込んだ方がいい。」と他の者に誘いかけ、興奮したその場の雰囲気から、制止する者が出ないまま、その他の被告人を含む六名もせいぜいAに暴行を加えて痛めつける程度のことと考えて、これに同調し、甲と被告人の普通乗用自動車二台に分乗してAのいる丙方に向かつたことにあり、解決されるべき問題は、もともと甲、乙とAとの間にあつて、被告人とAとの間にあつたわけではないこと、

3 甲は、丙方付近で、得物として木製テーブルの脚を三本拾い、うち一本を自分用に所持し、残りを乙と被告人に一本ずつ手渡したが、乙はAの姿を見てすぐにこれを捨て、被告人も、乙とAの後に付いて新日本興建の駐車場に向かう途中で、これを捨てていること、

4 右駐車場において、甲及び乙は、原判示のように多数回にわたりAを殴打したり足蹴にするなどしているが、被告人は、転倒したAが立ち上がつて被告人の方に向かつてきた際、二回位その顔面を手拳で殴りつけ、なおも被告人の足につかまつてきたAの胸部を一回蹴り上げただけであるうえ、甲がテーブルの脚でAを執ように殴り続けるのを見て、甲のなすがままにさせておけばAを死に致すのではないかと案じ、甲の手からテーブルの脚を取り上げて、これを放り捨ててもいること、

5 Aに対する暴行が終わつたのち、被告人は、Aを抱えて右駐車場から私道まで連れ出し、更に、同人を被告人の自動車のトランクに入れて運ぶことを承諾して、己にトランクを開けるように言つたり、トランクの中を整理したりしているが、これらは甲の指示によるものであり、また、その当時Aは、既に頭蓋冠及び頭蓋底骨折、脳挫傷、硬膜下及びクモ膜下出血等の致命的な重傷を負い、足腰が立たない状態にあつたものの、出血や外傷はさほどひどくなく、明らかに生存しており、外見上間もなく死亡するかもしれないと感じさせるような兆候を呈していたとは必ずしも認められないこと、

6 Aを自動車のトランクに入れて右駐車場を出発したのちの行動は、主として甲の発案ないし指示によるものであつて、乙がこれを積極的に援助、支持したほか、その余の被告人を含む五名はただ追随したにとどまり、その間積極的にAに暴行を加えたのも、甲だけであること、

などが認められる。

そして、これらの諸事情からすると、右駐車場のそばでAを自動車のトランクに入れるとき、被告人においてAの傷害がそのような重篤なものであることを知つていたとするには疑問があり、その後Aは手賀沼付近で再度トランクに積み込まれたあと、異常に高いいびきをかき始め、被告人もこれに気付き、Aが重症で死亡するかもしれないことを察知したが、その時以降においても、同人が死亡することを認容してこれに沿う行動に出たようなことはなく、それまでの行き掛かりからやむなく他の者とともに甲や乙に同行していたにすぎないものと認められる。

被告人の検察官に対する昭和五九年六月二八日付供述調書中には、被告人はAを自動車のトランクに入れるころ、重傷の同人を手当もせずにどこかに連れて行けば死んでしまうことは分かつていたとの供述があるが、被告人は、右供述を除き、捜査段階及び公判段階を通じてそのような供述をしておらず、前記認定の諸事情に徴しても、右供述はにわかに措信できない。

また、関係証拠中には、甲又は乙が駐車場そばでAを積み込むときや、手賀沼付近にいるときに、Aを生きたまま埋めるような趣旨のことを言つていたとの供述があり、甲らが興奮状態のもとでそのようなことを口走つたことも多分にありうることではあるが、同人らのその後の行動からみて、それがどの程度真意であつたか疑わしいばかりでなく、被告人を含むその他の者がこれを受け入れていたとは到底認め難い。被告人の前掲供述調書中には、手賀沼付近で、甲がAを埋めに行こうと言い、それが同人を生きたまま埋めてしまうことだと分かつたが、自分もそうするしかないと思つたとの供述があり、また、乙の検察官に対する同日付供述調書中にも、手賀沼付近では、全員が生きているAをどこかに運んで埋めることに賛成していたようにみえたとの供述があるが、被告人及び乙の捜査官に対する供述状況、右各供述自体の具体性、その後の事実の経過等に照らして、いずれも措信の限りではない。

以上のとおりであるから、被告人が手賀沼付近でAが死亡するかもしれないことを認識したことはあつたにしても、被告人に関する限り、本件に際し終始Aの死亡の結果を認容して行動したことがあつたとはいまだ認め難く、結局被告人に殺意があつたとの点はその証明がないといわざるをえない。所論は、原判決が右殺意を認定したのをとらえて、理由にくいちがいのある場合に当たるというが、これは証拠評価の問題にすぎず、右論旨は理由がないが、この事実の誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、所論の因果関係に関する主張について触れるまでもなく、事実の誤認をいう論旨は理由がある。

よつて、その余の論旨(法令適用の誤り及び量刑不当の各主張)に対する判断を省略し、刑訴法三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により更に次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

「第一」を、「被告人は、かねて極東関口本家四代目田中一家山岸二代目水野組組員Bの配下A(当時四五歳)に不快の念を抱いていたところ、Aに反感を抱いていた甲及び乙と共謀のうえ、昭和五九年五月三一日午前一時三〇分ころ、千葉県東葛飾郡沼南町藤ケ谷新田二四番地所在の新日本興建株式会社駐車場において、Aに対し、甲が木製テーブルの脚(昭和六二年押第一四〇号の2)でその後頭部付近を強打して転倒させたのを始めとして、同人が右テーブルの脚で多数回にわたつて全身を強打し、運動靴で顔面を殴打し、乙が多数回にわたつて顔面や背部などを足蹴にしたり踏み付けたりし、被告人が顔面を二回位殴打し、胸部を一回足蹴にするなどの暴行を加え、これにより、Aに左頭部打撲による脳障害(頭蓋冠及び頭蓋底骨折、脳挫傷、硬膜下及びクモ膜下出血)を負わせ、その後同人を普通乗用自動車の後部トランクに押し込み、同車を走行させて、同町内の手賀沼付近、同県佐倉市内の第二ユーカリが丘分譲地を経て、同日午前四時二〇分ころ同県八千代市保品字上谷一八〇〇番二所在の大成建設株式会社専用グランドに至る途中、Aを右傷害により死亡するに至らしめ、」と改めるほか、原判決記載のとおりであるから、これを引用する。

(証拠の標目)

「一 被告人の当審公判廷における供述」を加えるほか、原判決掲記のとおりであるから、これを引用する。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は、刑法二〇五条一項、六〇条に、同第二の所為は、同法一九〇条、六〇条にそれぞれ該当するところ、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により、重い第一の罪の刑に同法四七条但書の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で、被告人を懲役三年に処し、同法二一条を適用して、原審における未決勾留日数中七〇〇日を右刑に算入し、原審及び当審における訴訟費用は、刑訴法一八一条一項但書を適用して、これを被告人に負担させないこととする。

(量刑の事情)

本件各犯行に至る経緯、各犯行の態様や結果等は既に述べたとおりであり、ことに、被害者Aは、やくざの組織に入つていたものであるが、Bの単なる若い衆にすぎず、被告人らと反目するに至つたのもBとの関係からであること、本件犯行の契機となつた丙の「Aが拳銃で甲らを狙つている。」との言は虚言であつて、被害者は空気銃を丙方に置いていたことはあるが、拳銃を所持していたことなどは全くないこと、被告人らは、深夜被害者を戸外に連れ出したうえ、抵抗らしい抵抗をしていない被害者に対し、三人で強烈かつ執ような攻撃を加え、頭部に致命的な傷害を負わせ、足腰の立たない被害者を全く手当てもせずに自動車のトランクに入れて連れ回つて、死亡するに至らしめ、被害者が死亡するや、その死体を山林内に埋没したことなどが認められ、突然手ひどい暴力を加えられて苦悶の末にこの世を去つた被害者の無念さは察するに余りがあり、近隣社会に及ぼした悪影響等にもかんがみると、被告人の刑事責任は重いというべきである。確かに、被告人の犯行への関与の程度は甲及び乙に比べると相当に低く、特に、被告人のした暴行は前記認定のような到底致命傷になりえないものであり、被告人は甲の執ような暴行を阻止するため、同人から危険な得物を取り上げてもいること、被害者を自動車のトランクに入れたのちの行動は、行き掛かり上甲に追随したものであること、被告人は、傷害罪による罰金前科を除き犯歴を持たず、日ごろは普通の社会人として過ごしてきたものであること、その他被告人の経歴、家庭の状況、反省の態度等、被告人に有利な情状もあるが、これらを十分考慮に入れてみても、被告人がこの際前記程度の刑を受けるのはやむをえないところと考えられる。

以上の理由によつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官小野幹雄 裁判官横田安弘 裁判官井上廣道)

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